Takaharu Tezuka Workshop 6th Day: Quick Report

手塚貴晴ワークショップ:六日目レポート

L班

西沢立衛 『豊島美術館』(2010) クヌギ林がないと出てこない湧水がここに出ている。天井の高さは4600でこれは緑がないと決まらない高さである。一部屋で出来ていることで空間に連続性ができている。そしてふたつの窓を開けることによって外部を切り取っている。第一課題。

手塚評
この壁は連続しているために奥行きがない。ひとつながりになっているために距離感がなく、そのような空間のなかにある窓は、存在しないモノの中に見えるものであるから、その向こうにあるものもどのくらいの距離にあるのかはっきりとしない。それは今日の圓通寺の話に非常によく似ている。床があがることによって向こうの生け垣のスケール感が失われ、その向こうにあるモノのスケール感も違って見える。
 僕が君達に代わって説明するなら、「普通の窓から見る緑と言うのはそれがどこにあるのかすぐにわかる。けれど奥行きのない空間にある窓から見える緑というのはそれがすぐそばにあるように見える。これは緑をすぐそばに持ってくる装置であり、そしてその緑が育んだ水をそこに出している。水を育む緑を感じるために出来ている」そういう説明はできるかもしれない。
 しつらえが緑の存在をどのように変えるのかということを語らなければならない。「自然」と言うのはいわば本のタイトル、概念として大きすぎる。フォルムとか自然だとか君たちはすぐに感じられないことばを使おうとする。建築界の方言につかりすぎてはいけない、建築学科に入っていろいろなことを学んだのだろうが、一般人からすればかなり異常なことを喋っていることに自覚的にならなくてはいけない。
 平易な文章で新しいセオリーを説いている人が一番素晴らしい。アフォーダンスというのをしっているか?ジェームズ・ギブソンという人がいる。ものすごく平易な言葉を使いながら、実存主義というのを解説している。一回読むといい。それが分からないとルイス・カーンはわからない。モノが君に語りかけている言葉を聞かなくてはならない。たとえば梯子は梯子を見ると登りたくなる。そういう情報をここ(ペットボトルを指さしながら)が持っている。それをアフォーダンスという。
 アフォーダンスという概念ができるまでは、モノと言うのは、全部情報が分解されて頭の中でプロセスされ頭が考えて行動するとと考えられていた。でも、そう考えると人間の行動はとけない。ピアニストがなぜ指を動かせるのか、どんなに分析しても前は再現できなかった。そこにあるのはなぜアイボが歩けるようになったかという問題だ。アイボの開発で、ある人が「分析させる必要はなく覚えさせればよい」と考えた。多くのものを覚えているとそれを淘汰しながら分析していく、これは『遺伝的アルゴリズム』と言う概念で北野宏明さんと言う人が説き、それでアイボを歩かせた。「情報」はここにある(ペットボトルを指さしながら)、だから君は鍵だけ持っていればいい。こう(ペットボトルにぎりながら)持ちたくなる。そういう(握るという行為の)鍵だけを君が持っている。それを昔ルイスカーンは煉瓦がアーチになりたがっている、と言った。アフォーダンス的観点からみるとこの建物(豊島美術館)は人が緑、あるいは外を見たくなるような、そういうアフォーダンスを持っている。しかしそこを単にアフォードしているといってしまうのではだめだ、なぜそれが起きているかというトリックを見破らなくてはならない。それは君達の職能、できなければ建築家としての君の意義がない。
 時間もないので距離感というものがなくなることから第二課題に取り組む。


E班 
スタジオアーキファーム『SPROUT』(2009)から『家族だけの緑』という要素を取り出した。二つのヴォリュームが芝生を丸めた筒を中心にしてシンメトリーに置いてある。第二課題。

手塚評
これは要らない(真ん中の芝生の筒をトル)。こうするといいかもしれない。これの方がいい。こうするとこの窓とこの窓の関係が重要になる。窓は(この窓は)別に丸でなくてもいいと思う。人のいる空間と外の緑が常に重なって見えるというのが重要。どこにいても必ず人の生活の後ろに緑がある。窓をみると人越しに緑が見える。これは面白い、がとても大事なことは先ほどの筒みたいに大げさにならないこと。




言及された参考資料

J・J・ギブソン『生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る』サイエンス社 (1986/03)
北野 宏明『遺伝的アルゴリズム』産業図書 (1993/06)


by Koki Yamanishi



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『豊島ミュージアム』の模型(L班による)


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E班によるスタディ模型